「大きな傷がついている悲しい」の話

雑談

 先日わたしは、こんな悲しいツイートをしました。

 今使っているiPad、正確に言うとiPad Proは、わたしにとって通算3つ目となるタブレットです。これより前の2つはどちらもソニー製のAndroid機でした。詳しくは覚えていませんが、多分、今は亡きCLIEという、これもソニーから出ていたPDAを使っていた流れで、ソニーのタブレットを購入したような気がします。そうそう、ちょうど東日本大震災のあった頃まではPCもVAIOを使っていたので、昔は結構ソニーっ子だったといえるでしょう。

 そんなわたしだったのですが、2019年1月4日に東京に映画鑑賞メインで遊びに行ったときに、銀座のアップルストアでiPad Proを衝動買いしました。・・・と、日にちまで正確に記憶している世界の暗記王感を出してしまいましたが、実はこうツイートをしていたのを確認しただけでした。

 このツイートは東京のホテルの部屋から、ソニーのタブレットで書き込んだはずです。記憶もおぼろげですが。

 iPadの購入をついに決断したその夕べ、アップルストアの店員にAppleCare+とかいう修理が安くなったりする有料サービスを進められたとき「今まで使っていたタブレットも携帯もPCも1回も少しの傷もつけたことがないので、つまり使い方には自信があるので、それには入りません」という趣旨のことを実に誇らしく声高らかに告げたことが、つい昨日のことのように思い出されます。実際、この言葉は全くの真実だったのです。その声はおそらく東京中に響き渡ったことでしょう。

 ところが、その約2年後に、長男タブレットにも次男タブレットにも傷がついていない我が家の中のどこかで、iPadにだけ傷をつけてしまいました。テレビにも、様々な家電の小さな液晶画面にも、何にも傷はありません。食器にもテーブルにも全く傷はありません。そして、iPadにいったいいつ傷をつけたのかは全然記憶にないのです。

 この悲しみをどうやって乗り越えようかとずっと考えていたら、突然、この傷を持ったiPadが、病気を持った自分と何か通じる存在のような気がしてきました。そして、わたしの病気の苦しみを理解してくれる唯一の存在がiPadのような気がしてきたのです。そうして、前より愛着を抱くことができるようになったのでした。

iPad Proさん
iPad Proさん

わたしにいつか傷がつくことは、とうの昔の、例えば鎌倉時代の『平家物語』の冒頭などに、既に予告されているんだよ。

 ただ最近、できれば1つで動画を流して、もう1つでDCGをやれたらいいと思っているので、もう1台タブレットが欲しくなっています。前述のソニーのAndroid機は旧世代過ぎて、もはやYouTubeすらまともに見られません。PCでもいいのですが、タブレットの携帯性がふさう場面が少なくないのでタブレットがいいのです。

 さて何を買おうかな。

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