無藝荘に行ってきた

映画

 わがブログの読者に無藝荘を知らぬ者はまさかいないだろうが、とか言いつつ本当は結構いると思うので説明すると、簡単に言えば、映画監督の小津安二郎が晩年の7年間に脚本家の野田高梧と共同作業の場とした蓼科高原の山荘の名前である。場所は長野県の茅野市、蓼科高原にある。

 病気のために来年3月で今の職場を退職することにしたという理由で、来年以降も元々よそ者のわたしが長野県に住み続ける意味が希薄となった今日この頃、せっかく長野県にいるうちに一度は行ってみたいと思っていたのになかなか叶わずにいた無藝荘の、今年の開館日がいよいよあとわずかとなったことを偶然に聞きつけたので、ついに行ってきたというわけである。

 2020年某月某日、無藝荘は美しい紅葉の中にあった。

 入館料は100円である。中の撮影も許可されたので自分用に録った写真は何枚もあるのだが、それはここには載せないでおく。だがその理由はわたしがケチだからでは決してなく、職員(?)の方に館内の写真を撮っていいか確認したとき「いいですよ、商売に使わなければ」というような返事をいただいたからである。現状では微々たる収入さえもたらしていないものの、いちおうアドセンス広告が貼ってあるブログが広義の商売にも該当しないとは厳密には言い切れないという神経質な理屈により、中の写真は載せないことにする。ぜひ興味のある方は、ご自分で訪問されたし。近くに野田高梧の別荘とか笠智衆の別荘とかいろいろあるので、映画好きなら言われなくとも来たくなる魅力のある場所だと思う。そして、それに加えて職員(といえばいいのか、何と呼んだらいいかわからない)の方がすごく親切な方で、いろいろ貴重なお話をして下さる。例えば、もともと無藝荘は上の写真の場所から1キロほど離れたところにあったのに、とある理由で移築されたのだが、その理由を教えてもらったりできる。

 個人的に驚愕だったのは、職員と呼ぶのが正しいのかどうかわからないその方の話によると、最近では、ここを訪れる方の約半分は小津安二郎のことを全く知らない人なのだそうである。古民家が見たい、とかそういう理由で訪れるらしい。記帳には他県から来ている人の名前と住所がたくさん並んでいた。つまり、小津を全く知らないのに遠方からわざわざここに来る人がたくさんいるということである。個人的にはとても意外なことであった。もちろん周りに何もないところではないので、わたしのようにここだけ見て帰る人ばかりではないだろうが。

 それ以外にも本当に色々な話題で、なんだかんだで結構長い時間お話させてもらったので、普段孤独に病床に伏す生活を送っているわたしは久方ぶりに楽しいときを過ごしたのは間違いないのだが、その中で一番好きな小津映画が何か聞かれたのは一瞬ウッと詰まる感じに困ってしまった。若い頃なら困りすぎてその場で死んでしまったかもしれない。歳を取ったおかげでこういうときの反則技「わたしは選べません。全部です」をためらいもなく行使して死亡だけは免れることができたが、一番は本当に簡単に選べない。なんか挙げれば、そこからまた話が続くのはわかっているのだが、不意に聞かれて一瞬で小津の一番というのはわたしには選べないのです。本当にすみません。お許し下さい。

 公式ホームページには開館時間が記されていないが実はここは16時で閉まるようで、ここだけ行ってすぐ帰る予定のわたしは15時過ぎに着くように行ってしまい、それが今回の失敗であった。大きなテレビモニターがあって、そこで何かを見たりもできるようだが、わたしは行くのが遅すぎてそれは見送るしかなかった。また、今日は雨だったので予定から外したが近くに小津の散歩道というのもあって、そこを歩いてみたいという願望もあるので、いずれにせよわたしはもう一度リベンジするつもりである。結論、行ってよかった。

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