どうやら先日、音楽プロダクションWACKの代表にして妻帯者の渡辺淳之介(37)とアイドルユニットZOCのメンバー巫まろ(26)の不倫が世間をそれなりに賑わせたようです。
普段ならば、わたくしは個人的には、芸能関係者の不倫等の話題というものは基本的にはわりとどうでもいいといいましょうか、もちろん関係者はこの後それなりにバチバチやりあう展開となっても当然だとは思いますものの、所詮部外者のこちとらには単純に全く関係がないと考えてしまうタイプの人間なのですが、例外的に今回のこの話題の場合は、あるアイドル事務所の社長が、他事務所の1アイドルをアイドルとしては殺してしまった形に見えてしまうので、それなりに胸が熱くなる感覚が無いでもありませんでした。
いや、腰を激しく動かす渡辺淳之介の残像が背後に透けて見えてしまうアイドルがアイドルとして死んではいないという説もあるのかもしれませんので、「殺してしまった」ということばは言い過ぎなのかもしれません。すみません。
ところで、不倫という「背任行為」の一報を聞いて、不意にSiSというグループのことを思い出したのは、わたしだけなのでしょうか。あのときはSiS自体が消えましたが、自分の「背任行為」には寛容なのでしょうか。
少し脱線しすぎましたが、このように、少々胸が熱くなる感覚を抱いたものの、この出来事自体は、やはり、わりとどうでもいいという感想の領域から外れることはありませんでした。確かに、アラフォーおじによる犬耳帽子ペアルックを見ても全く何も感じないということはないのですが、そもそもZOCというアイドルグループを知らなかったというわたくしの不勉強ぶり及び無関心も大いに手伝って、結論としてはわりとどうでもいいという感想に落ち着いたのでした。
ところが、この出来事自体はどうでもいいのですが、この出来事が生み落とした1つの文章に、わたしは、大げさに言えば軽く魅了されてしまいました。
その文章というのはこれです。
このツイートが、いつ地球上から消えてしまうか分からないので、画像にて再掲しておきます。
この文章にわたしが惹かれている理由は、大きいものだけで2つあります。
1つは、4行目と5行目の繋がり方が不思議だということです。
もしもこの部分が、例えば「お仕事を通じ、渡辺さんと懇意になってしまいましたが、このようなお付き合いが到底許されることではなく~」のように逆接でつながっていれば、わたしには実に自然な日本語のように感じられます。ところが、ここでは「懇意になり」と単純に連用中止法でつなぐ作文を採用しています。
一見これでは、日本語として正しくないように思えます。ただの下手くそな文章のように感じられます。まるで、下書きには書いたはずの間の1行がそっくり抜けてしまったかのような印象を受けます。しかし、もう一度、もう二度、と読み続けていると、この壊れた日本語のようなレトリックの効果は、実は、簡単には言えない深いものがあるのではないだろうかと感じられるようになってくるような気がします。そして、わたしにはこの箇所は、書き手が「到底許されることではなく」などとは実は心の奥底では全く思っていないということを暗に示しているように思えるのです。そしてこれは、なかなか高度な方法だとさえ思えるのであります。
というか、正確に言うならば、「到底許されることではなく」と思っていないだけではなく、そもそも読み手に何も伝わらなくても一向に構わないかのようにわたしには見えます。コミュニケーションを取ろうとしているように見えつつ、同時に、コミュニケーションを拒絶しているようにも見えるということ。この文章を読むとき、おそらく人は、未完成のAIと話しているような感情に陥るのではないでしょうか。
さて、この文章にわたしが惹かれている理由の2つ目は、最後の一文です。
「重ねまして、大変申し訳ございませんでした」というのは、日本語としては誤りです。
上にリンクを貼ったサイトにも書いてありますが、「重ねて」という表現は、「重ねてお詫び申し上げます」「重ねて御礼申し上げます」「重ねてお願い申し上げます」のように、繰り返し行う動作を表す動詞等で受けるように使うべきなのであって、一般的には「重ねて申し訳ありません」という言い回しは、日本語のルール上には存在しないと認識されているはずです。そしてそれは「重ねる」という動詞と「て」という助詞の間に「ます」という丁寧の助動詞を入れ込んでも変わらないはずなのです。
で、これが日本語として間違っているというだけならわりとどうでもいいのですが、話はそれでは終わらないのです。
ここで、ある別のツイートを引用します。こちらのツイートも抹消される可能性を否定できませんので、重ねて画像も掲載いたします。
なんと、こちらのツイートの文末も「重ねてこの度は申し訳ありませんでした」という全く同じ類いの日本語の間違いが採用されているのです。そして、これは偶然のはずがない、とわたしには思えます。この文章は、日頃の雑談をそっくり書き写したメモ用紙に記されていた、くだけた状況の言葉などではなく、公に向けて綴られた謝罪文なのですから、普通は、正しい言葉を用いようとするはずです。それが間違っている上に、それぞれが別の間違いをしているのではなく、まるであの犬耳帽子のように、お揃いの間違いをしているのです。そこに何らかの意味が込められていると考えるのは、深読みなのでしょうか。
不倫報道された2人の男女が、意図的に同じ過ちを採用しつつ謝罪文を発表すること。
おそらく、ここにあるのは、今後も二人揃って「過ち」を犯し続けるという決意の表明ではないでしょうか。そう考えると、一見日本語として少しアヤしくさえ思えた巫まろのツイートの中で実は高度な何事かが行われているような気がしてきます。何かがここで誓われていると言ってもいいような気さえしてくるのです。
以上はわたしの勝手な読みでしかありません。が、どう考えてもそう読めるので少し興味を抱いた、というただそれだけの話でした。
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